令和3年度はコロナ禍の終息が見えない中、全都道府県で大幅引き上げに
地域別最低賃金が改定されます。令和3年10月1日付で改定となる都道府県が多いですが、10月2日以降に改定となる県もあります。
各都道府県に適用される最低賃金額、及び新しい最低賃金の適用年月日については厚生労働省ホームページでご確認ください。
また、最低賃金に関する注意事項について、幣事務所ホームページの過去記事にてまとめておりますので、そちらも併せてご確認いただければと思います。(過去記事内の最低賃金は2018年当時のものですので、ご注意ください。)
最低賃金を引き上げるタイミングではない
令和2年度の賃金構造基本統計調査によると、産業別の賃金では「宿泊業、飲食サービス業」が最も低賃金であることが分かります。
コロナ禍で大きなダメージを受けているのは、まさに「宿泊業、飲食サービス業」であり、「宿泊業、飲食サービス業」に最低賃金もしくは最低賃金に近い金額で働く労働者が多いと仮定した場合、今回の大幅な最低賃金引き上げは、傷に塩を塗る行為に他なりません。
今回の最低賃金の大幅引き上げについて、公益委員会の見解の中で「産業全体では企業利益が回復していること」を理由の一つとして掲げていますが、一方で、「一部産業においては依然厳しい状況が続いている」ことにも言及しています。
地域別最低賃金は全産業一律に適用されるものであることから、「一部産業においては依然厳しい状況が続いている」のであれば、最低賃金を大幅に引き上げるタイミングでないことは明らかと考えます。
地域の実情が反映されているとは考えられない
最低賃金法第9条第2項には「地域別最低賃金は、地域における労働者の生計費及び賃金並びに通常の事業の賃金支払能力を考慮して定められなければならない。」と定められています。
それにもかかわらず、今回の最低賃金引き上げは全都道府県で28円~32円の間に収まっており、「地域における労働者の生計費」と「通常の事業の賃金支払能力」を考慮しているとは到底考えられません。(生計費と通常の事業の賃金支払能力が最も高いであろう東京都が、最も高い最低賃金の引き上げになるのが自然と考えられるところ、逆に最も低い引き上げに留まっていることがその証左ではないでしょうか。)
地域から職が失われるおそれがある
企業はコストに敏感である ~シリコンバレーから脱出する企業~
話はアメリカに移りますが、既にご存じの方もいらっしゃるように、アメリカのシリコンバレー(カリフォルニア州)からテキサス州やフロリダ州へ移転する企業が続出しており、以下はその一例です。
- オラクル(総合ITサービス)
- ヒューレット・パッカード(コンピュータ製造)
- テスラ(電気自動車製造)
- DZS(通信機器製造)
- パランティア(ビッグデータ解析)
- ファイル・トレイル(ソフト開発)
- クエスチョンプロ(ソフト開発)
- ジュール・ラブズ(電子タバコ製造)
- レディット(ソーシャル・ニュース)
- 8VC(ベンチャー・キャピタル)
- ブルームバーク・キャピタル(ベンチャー・キャピタル)
※その他、シリコンバレーではありませんが、トヨタ自動車がカリフォルニア州からテキサス州に工場を移転するなどしています。
これら企業の流出は、主にシリコンバレーのコスト高を嫌ってのものと言われています。シリコンバレーからテキサスに移転した場合、法人・個人とも所得税が掛からず、家賃やガソリン等の価格も安く、人件費についても、カリフォルニア州では最低賃金が15ドルであるに対して、テキサス州では7.25ドルであり、大きな差があります。(なお、移転の理由としてその他にも、ビジネスへの強い規制や強い労働組合を嫌ったこと、あるいは支持政党の問題等が考えられます。)
上記はアメリカの事例ですが、日本でも企業がコストに敏感であることには変わりありません。最低賃金の低い沖縄県にコールセンターを置くなどの事例がありますが、地方と都心部の賃金差が縮まる(最終的には賃金差が完全に解消される)ならば、価格優位性のある仕事が地方から失われることになりかねません。
最低賃金引き上げ論の中には、「地方の賃金が低いから都心部へヒトが流出する」というものがありますが、筆者の私見では「地方に仕事が無いから都心部へヒトが流出する」のであって、地方の賃金が都心部の賃金に近づけば(最終的には地方と都心部の賃金が横並びになれば)、企業から見た地方の価格優位性を失い、都心部へ仕事が回帰してヒトも流出してしまうと思われます。
実はこの点が全国(ほぼ)一律の最低賃金引き上げに繋がっている要因の1つではないかと思います。地域の実情を無視して全国(ほぼ)一律に最低賃金を引き上げることで、敢えて地方と都市部の賃金格差を維持しようとしているのではないかとも思いますが、地域別最低賃金の趣旨を埋没させていることは間違いありません。
本当の意味で地方に仕事を増やしたい(=地方にヒトを留めたい、呼び込みたい)のであれば、都心部に課税してコスト的に割高として、企業自らの判断で地方に転出する動機を与えること等を検討すべきと考えます。
労働者の収入が減少するおそれがある
企業が人件費に掛ける総額は変わらない
2015年から2018年まで、カリフォルニア州とテキサス州の勤務シフトと賃金のデータを比較する研究が行われました。
まず、カリフォルニア州では2015年の最低賃金が9ドルで、以降毎年引き上げられています。一方、テキサス州では最低賃金が7.25ドルで据え置かれています。
そしてデータを分析したところ、最低賃金が1ドル上昇するごとに「従業員数が27.7%増加し、従業員1人当たりの労働時間が20.8%減少する。」という結果が得られました。
要因としては、退職手当(週20時間以上の勤務が必要)や医療保険(週30時間以上勤務が必要)といった福利厚生費を削減するために、従業員1人当たりの労働時間を削減する一方で、仕事の総量は変わらないため、穴埋めの人員を追加で補充したことが考えられます。賃金の上昇を福利厚生費の減少で対処しようとしたことわけですが、それはつまり、企業が人件費(賃金+福利厚生費)に割くことのできる総額は変わらないということが示されていると言えるでしょう。
しわ寄せは労働者に及ぶ
最低賃金上昇に合わせて企業が上記のとおりに動いたとすると、最低賃金の上昇による収入上昇効果を労働時間減少による収入減少効果が上回り、結果として収入が減少することになると考えられます。(最低賃金が1時間当たり1000円から1030円に上昇し、労働時間が6時間から5時間に減少した場合、30円×5時間=150円の賃金上昇に対して、1000円×1時間=1000円の賃金減少となり、結果850円のマイナスとなることもあり得ます。)
労働者は掛け持ちして働くことで収入の減少を補うことができますが、それによって不規則な勤務スケジュールとなり、仕事と生活の調和を取ることが難しくなることが考えられます。また、家計の一部を補助的に稼いでいるに過ぎない労働者については、必ずしも収入の減少分を掛け持ちしてまで補うわけではないと考えられます。
なお、最低賃金の引上げによって中小企業が採用を抑制した結果、若年層の失業率が高止まりすることになった韓国の事例が報道されたことは記憶に新しいところです。韓国の場合は2018年16.4%、2019年10.9%と異常な程の最低賃金引上げであったため、必ずしも日本と同視することができるわけではありません。しかし、最低賃金の引上げのしわ寄せが労働者に及んだ端的な実例であることは間違いないでしょう。
<補足>企業は日本でもアメリカと同様の行動を取るのか?
日本においては労働人口が減少しており、コロナ禍の終息後は1人当たりの労働時間を減らす代わりに、穴埋めとして従業員の頭数を増やすという対策は難しいとも考えられます。
一方で、社会保険の適用者拡大が段階的に実施されることが既に決定しており(2022年10月からは従業員数101人以上の企業、2024年10月からは従業員数51人以上の企業で、週20時間以上勤務の労働者が社会保険の強制加入対象となります。)、最低賃金の上昇以外にも1人当たりの労働時間を減少させる十分な動機があるのは間違いありません。
そこから筆者が予想するのは、大企業など採用力のある企業では従業員の頭数を増やす戦略を取り、一方で採用余力の乏しい中小零細企業では頭数を増やす戦略を取ることができず、最低賃金引き上げや社会保険適用拡大の影響をもろに受けることになるのではないでしょうか。
<参考>
イーロン・マスクも移住 規制や税金が嫌われるカリフォルニア、テキサスへ流出加速